芸術は魂のたべもの

昨日は古くからお付き合いのある方にお会いするために下関市へ。約1ヵ月前にアポイントを取っての行動であって、決してNHK大河ドラマ「鎌倉殿」で放映されたばかりの源平合戦に触発されて訪れたのではない。だけど、それを見終わった後にやって来ると、いつもどおりの景色ではなくなる。関門海峡そばの道路を運転すれば、潮風の香りに約800年前の歴史のロマンを感じ、心の奥底まで血走って熱くなってしまう。嗚呼、なんて単純な奴!子供の頃からまったく変わらない構造。くっきりと未熟な人間性があらわになった。

その後、せっかくここまで来たのだからと下関市立美術館へ参上。美術館設立にあたり寄贈などで多大な貢献を果たし、「芸術は魂のたべもの」という名言を残した河村幸次郎氏のコレクションをはじめ、当ギャラリーで何度も個展を行った画家の作品などの所蔵品展を鑑賞する。とても懐かしい雰囲気に包まれて、タイムスリップしたような感覚になった。そう、私が美術というものを初めて意識して目にした時代のものは、右も左もわからなくて、作品の前で地蔵のように固まっていたことを思い出させてもらえたのだ

美術鑑賞は見栄を張ったり背伸びすることなく、その時にぴったりとしたものを感じ取ればいい。いくつもの作品を一度に観ることができたとしても許容量を超えるだけ。美術作品というものは、奇しくも出合った目の前にあるものに、じっくりと集中することで自分なりの基準が生まれ、それを軸にして理解することができるようになるのだ。いきなり大きな成長することを目指してはいけない。最初はまず、自分が持つ価値観と照らし合わせながら、びびっとくるものを着実に覚えることが大切になる。そのような原点を確かめる有意義な時間を過ごす。芸術の魂を味わって、満足するひと時になった。

ドリームカムトゥルー

ある日、イラストレーターの りおた君は、彼が尊敬する同じ業界の先輩に「明日の夜ごはん、一緒にどうかな?」と、突然ダイレクトメッセージで誘われる。もちろん、二つ返事でよろしく!10数年前、プロを目指して駆けだした頃に、一番目標にした憧れた方から声をかけてもらうなんて、まさに夢のような出来事。胸の高鳴りを押さえきれずに、いざ待ち合わせの居酒屋へ出陣する。

そこでは予想外に落ち着いて立ち振る舞いをしている自分がいた。まったくの初対面なのに、すでに何度何度も会ったような雰囲気で、気心のよく知れたもの同士のフランクなコミュニケーションで華やいだ。お互いに自分の仕事へのポリシーに始まり、実直にイラストへ掛ける思いを交換し合い、そして、どうやって創作活動を進めばよいのか、という希望的な観測まで話題は盛り上がり、本音ばかりの密度の濃い内容で終始語り合った。
嗚呼、本当に夢のような一夜であった。しかし、これは紛れもない現実なのである。好きなことをこつこつ努力したことで、目標や希望を手にすることができた。自分の個性的なイラストで人を喜ばそう創意工夫した結果、まわりまわって自分が喜ぶ瞬間に巡り合う。こうして喜ばせごっこの先輩と語り合ったことに、しあわせを噛みしめながら感謝するしかない。かたくなにイラストの世界を追求して、自分なりに個性を活かしてきてよかった。「地方の街にいるのに都市部の人に勝るクオリティは素晴らしい」と認めてもらえて嬉しかった。よし、やってやるぞ!イラストレーターの人生は、すべてが未知の世界への冒険旅行に繋がっていく。だから面白いからやめられないのだ。

すべての道はローマに通ず

どんな人でもやっていることの成果が目に見える形になるまでには、それそうおうに努力を積み重ねていく必要がある。お手軽で簡単にできるレベルのことだったらいざ知らず、その道のプロだと評価されるクラスで生きたいのなら、常に社会は変化していくから次々に学んでいくしかない。それ故に、合理的で効率よくやっていこうとしても、それでは既存の価値観をなぞっただけで、何か良さそうなことをやったというアリバイ作りで終わるだろう。とにかく、自分で自分の個性と向き合うこと。自分は本当にこのままでいいのか、これをやり続けていいのかなど、未来への可能性を見つけるために自問自答をして、今やるべきことに集中することで成長していける。
だから、自分にできることのチャンスを掴むために、さまざまなことで積極的に腕試ししてみよう。ダラダラと進めるのではなく、メリハリをつけて取り組んでいく。例え失敗することがあったら、根気よく、辛抱強く、修業だと開き直って頑張ればいい。理想的に上手くいくことを目指すべきだが、それ以上にその過程で得たものを大切にしていく。すべての道はローマに通ずと達観して、謙虚な気持ちでたくさん経験をすれば、その分多くのチャンスにめぐまれてくる。その時々の自分の直感を信じて果敢に行動を起こしてみること。幸運を引き寄せるためにやるべき課題をやっていく。そうやってポジティブなイメージを高めることで、成功へ向かって力強く近づいていけるのだ。

君の声が聴きたい

先週末、NHK総合で連夜に渡って「君の声が聴きたい」が放映され、子どもや若者から番組専用サイトに届けられた、さまざま問題や抱える悩みなどを取り上げ、どうすれば良いのかについて出演者たちが議論し合った。なんとも胸が痛くなるほど、今の時代は厳しいことが多くある。2020年、ユニセフの精神的幸福度調査で、日本の子どもや若者は先進38か国中、残念ながら37位と低い結果になったことも頷いてしまう。本当にこれまでの常識が通用しなくなって、先行きが不透明な時代にもがいている姿を見ながらあれこれ考えさせられた。

ちなみに私の周囲にはいろんなタイプの若者が集まってくる。みんなそれぞれ個性を活かした作品で、誰かの感性を刺激したいと願って創作している。どの時代でも理想の未来像へ向かって努力する若者は清々しい。一見の雰囲気は変わってきたけど、ひたむきで純粋な姿勢は変わらない。自分の能力を活かし居場所をつくるために、何をどうすればいいのかを自問自答の日々を繰り返す。期待と不安を交錯させながら、未来への可能性を探っていく。当たり前のことや小さなことをおろそかにしては、目標や希望に手が届くことはない。その日その日を大事に積み上げて、平凡が非凡に変わっていけば、充実感が湧いて幸せを味わえるだろう。

才能開花

美術の世界はその人に才能のあるなしじゃない。とにかく何があってもやるしかないと覚悟すること。そして、自分自身の可能性を信じて追い込んだ時に、初めてやる気スイッチが入って、創作エネルギーが噴き出してくる。端的に言うと、しかるべき時にしかるべき創作への挑戦をきちんと向き合わなければ、創造力が上手く成長していけないし、好奇心や冒険心を育んでいくことはできない。

だから、才能を開花したいと思っているのなら、感性のひらめくものを、なんでも取り組んでみればいい。自分の専門分野以外のことに広く眼を開き、苦労することを恐れずに我武者羅にもがきながら、さまざまなこと経験しながら前へ進もうとすることが大切になる。そのようなエネルギーが混ざり合って、化学反応を起こしたり、新しい世界観を切り拓くことだってあるのだ。

創作のインスピレーションは、いろんなことをやっていく中で、めぐり会う繋がりから発生していく。何かのチャンスを掴もうとして自分らしくチャレンジするうちに、苦しみや難しい状況を克服しようと努力することで、心の琴線に触れた瞬間に生まれてくる。つまり、好きな美術であれば創造力を探し求めて、探し続けることも決してつらくないはずだ。才能というものは弱気に打ち勝つ習練から生じていくのだ。

未熟さ

いわゆる美術家を目指してやり始めたのなら、自分自身の未熟さなんて悩まなくてもいい。なぜなら、最初は誰だってあまりにもやった方が良さそうなことが多すぎて、何から手をつけていいかわからないことばかり。それによって、自分は基本的なことがよくわかっていない不安が生まれ、未熟さをマイナスに捉えて後ろ向きな考えてしまうのだ。理想の美術家像が優れていたいや高く評価されたい、好かれたいなど、いきなり多くの理想を掲げ過ぎて、現状の自分との間に大きなギャップが生まれてくる。美術への経験不足から高すぎる目標の設定したことで、まだまだ出来ていないことに劣等感を抱いて、勝手に自滅するように落ち込んでいるのだ。
だからこそ、なんでもたくさんいっぺんにやろうとしてはいけない。効果的に技術や知識を身に付けようと思わないで、いろいろことに触れていきながら、可能性を広げていくことが大切になる。なにかピンとくることがあるのなら素直に取り組んでみよう。やる前にできるかどうか悩んだり、諦めてしてはいけない。たとえ第一歩でつまずいてしまったとしても、それは生みの苦しみだと真摯に受けとめて、最善の努力を尽くしていく。自分は未熟だからできないと言い訳をして、いつまでも本気になってやろうとしなければ、何をやっても成長していくことはできない。とにかく、誰でもやり始めた時は未熟なもの。同じようなことの失敗を繰り返す。つまり、周囲の目や世間体を気にしないで、堂々とやっていったらいい。そのうちに少しずつ調子が出てきて進歩していく。めげずにやり続けていくこと。未熟には楽しみがある。これから伸びていく未来がある。ぼちぼちとマイペースで、めげずにやり続けていくのだ。

自分の人生を描く画家

「人間は自分の人生を描く画家である」という名言がある。この言葉は、生まれ育った環境や取り巻く人間関係によって、性格形成に大きな影響を与えるのは事実である。だけど、そこからどのように生きるのかはその人の心掛け次第。最終的にその人の性格を決める要因は、その人自身が決めていくこと。つまり、自分の人生ドラマをどのようにするのかはすべて自分自身の責任。原作も演出も主演も何もかもやらなきゃならない。誰も自分の人生の主人公から逃れられない運命だという意味である。
それゆえに、人それぞれ何かをやろうと行動する時には、その人らしい意志で目的を選び抜いている。これまでよりも良いものになることを目指し、現状からプラスへと目的に近づこうと努力していく。いわゆる過去は変えることはできないが、未来は変えていくことができる。取り返すことのできない過去に執着することなく、新しいロードマップをリアリティーあるもので描きながら、自分と他者にとって建設的なものになるように、思考をコントロールすることが必要だと言える。
ついついいろいろなことに欲張って手を出し、知らず知らずのうちに許容範囲を大きく超えて、気が付けばつまみ食いの山。にっちもさっちもいかなくなってしまう。だから、世間一般の価値観に惑わされることなく、自分の体験や好みに応じて主観的に触れていくこと。自分だけの意味付けを通して、常に自分を主人公することが大切なのだ。