多様性

アカデミック・インブリーディングという言葉がある。大学人事において自校出身者を優先的に教員として採用する慣行のことだ。同系繁殖や近親配合のようなことを続けていると、たちまち組織は劣性になっていく。それにより学術活動にとって不健全な影響をもたらし、学外から新しいアイデアを取り入れる機会を損なうと考えられている。

地域文化も同じようなことが言える。いつも顔ぶれが変わらない人たちとつるんでいると、その中で地位や年齢が上の人たちの顔色を伺って、忖度しては決まりきったことしかやらなくなる。仲良しこよしの人ばかりが集うと、異質なものを嫌って排除していくため、同じような価値観に固まってしまい、多様性に欠けて創造性を失っていく。

だからこそ、新しい血を入れていくことが大切になってくる。似たものは似たものに影響を及ぼすことはできない。そこにある常識に屈してはいけない。もうこれ以上のことがないなんて、そう無抵抗に思う集団なら壊した方がいい。その土地の文化をよく知らない人が来れば、目からうろこが落ちる発想で、夢にも思わなかった創造力を発揮していく。そういう新しい風が次々に入ってくる山口市は凄いとしか言えない。これも天国いる素晴らしい先人先輩のおかげだ。たくさんの恩恵にただただ感謝するのみである。

初志貫徹

4年前、初めてコサカダイキ君の個展を開催した時、来場者が途絶えるたびにざっくばらんな話しをしていた。もちろん、コサカ君をよく知ることで個性や長所が把握できるし、作品の見どころをアナウンスするのに役立つからだ。

とはいうものの、あまりにもオリジナリティあふれる生き方に、思わず聞き耳を立ててしまうことの方が多かった。誰にでも自分の人生をテーマにした1冊の本が書けると言うけど、コサカ君の人生は創作人生を歩むにふさわしい内容であった。

まずそれは小学生の頃、絵が得意なコサカ少年の前に絵の上手い転校生が現れ、いつの間にか毎日イラスト合戦をするようになる。どっちが勝つかを本気で競い合って、時には相手が描く絵柄を予想し、それよりもよくなるように下準備して臨んでいた。
続く中学時代はサッカー部に所属しながら、細切れの時間を絵を描くことに没頭する。ある学年の夏休みにポスター制作の宿題が出されて、浮かんだイメージを一気に水彩絵の具で描いてみた。すると、先生に出来栄えの良さを褒められ、画材を変えたらもっとよくなるよと助言された。なるほど、こうすれいいのか。でも、それを実行すれば、自分の力とは言えないはず。しっくりとしなかったため、描き直すことはなかった。
私はこのエピソードを感心をした。ただ、美術の成績を上げたいのなら、指導どおりに制作すればいい。少しでも評価を高めたいのなら、敷かれたレールの上に乗ることが一番だ。しかし、どんな有益な言葉であっても、腑に落ちないことはやりたくない。コサカ君は早くから美術の本質に気が付いたのだろう。
ハッキリと理由はわからないものの、わずかな違和感にも妥協することなく、自分の流儀を貫いたのは素晴らしい。創作には近道はない。厳しい壁をの乗り越えようと努力するのみ、独創的な世界観にたどり着く見込みがある。自前で花を咲かせたい。一から育てることにこだわる姿勢に胸を打たれたのだった。

青雲の志

昨日、第12回やまぐち新進アーティスト大賞展の表彰式が行われ、その晴れ舞台にイラストレーターのコサカダイキ君が大賞受賞者として立つことができた。おめでとう!本格的に活動を始めてからわずか4年で、このような栄誉に輝けたのは無名だったことで、他人の目を気にせずにやりたいことがやれたし、新しい可能性へ挑戦する時間も持てたからだ。

そして、りおた君という素晴らしい兄貴分の𠮟咤激励をはじめ、多くの仲間たちと熱く語り合い、だんだんとアートの世界観を広げて、どんどん面白くなって、創作の楽しさが理解できるようになった。つまり、無名であることの良さを上手く活かした。周囲がやさしく接してくれて、様々ことを丁寧に教えてもらった賜物だ。

これからはそうは問屋が卸さなくなる。実力が評価されたことで厳しい目で見られるようになるし、利害関係に囲まれて身動きが取れなくなったり、とにかく注目されることの副産物も味わうだろう。だけど、何も心配していない。どんな環境になったとしても、少しもあわてることはない。これまで無名力を活かしたいい。どこまでも下っ端根性を忘れずに努力するのみ。もっと上のステージを目指して、もっと上のことを学んでいこう。更なる飛躍を心から期待している。

連携

2019年6月、コサカダイキ君と知り合って1年後に個展を開いた。やはり、どんなことをするにせよ、実際に学ぶことができるのは、現場で立って体験していくしかない。その人にとって今勉強すべきことは、様々な出会いによって知らされる。だったら多少荒療治にはなるけど、未経験者にリングの上に立たせて、どんな化学反応が起きるのかを試すことにした。

それにしてもコサカ君は不思議な若者。小学生の頃から絵を描くのは得意で、友人知人に評価されていたのに、自分には縁がない世界だと達観して、美術の道へ進もうとは思わなかった。ずっと高校までサッカーを続けながら、就職してサラリーマンになって、カッコイイバイクに乗って、仲間たちと楽しく遊ぶことを漠然と考えていた。

 そんなコサク君に22歳の時に転機がやって来る。社内で行わてた技能五輪選考会で落選し、自信があっただけにショックを受けて、このままでいいのかと人生を立ち止まって見直す。すると、絵を描くことへの強いこだわりに気が付く。よし、やってやろう!初めて本気になった。そう決意したとたん、運命の歯車は一気に動き出す。あれよあれよという間にことが進み、ついにはやまぐち新進アーティスト大賞を受賞する日に至る。正にドリームだ!これも、りおた君の存在が大きい。二人は競輪のレースのように連携し合って、それぞれの創造力を高め合ったのだろう。

出会い

5年前の春、りおた君から会わせたい人がいると言うので、どれどれどんな人がくるのか楽しみにしていると、一見はクールそうな感じだけど、どこか人懐っこい若者がやって来た。早速、雑談を始めると、あることがきっかけでサラリーマン人生に疑問を持つようになり、馴染みの美容室のオーナーに相談したところ、その店の常連のりおた君を紹介され、会って話してみると高い熱量にほだされて、イラストの世界で勝負したくなり、ご挨拶にやって来たとのことだった。

それはどう考えても無茶なことである。そこで思いとどまらそうと思いながら、その作品を拝見させてもらうと、なんと素晴らしい描写力で描かれた水彩画だ。さすが、りおた君がけしかけたくなるはずだ。なるほど、こいつはすげえダイヤモンドの原石。しかも、まったくの独学とのこと。聞けば、スタジオジプリの映画が大好きで、子供の頃から時間さえあれば、パンフレットのない場面を動画を止めて描き写すことばかりしていたと打ち明けられた。

いわゆるこれは好きこそものの上手なれ。好きなことを一生懸命に創意工夫した結果、本人が気が付かないうちに非凡なレベルまで達する。純粋に向き合い、ストイックに取り組み、腕を磨けていったのだろう。こうしてコサカダイキ君とは知り合う。美術について右も左もわからないズブの素人だったが、年月を経て大きく開花していくから面白い。ドラマよりもドラマなことが現実に起きるもの。さらに素敵なドラマを期待する。その素直さを活かして飛躍していこう!

美術談義

術作品を観ていると、よくやっていると感心したり、なんとなく違和感を抱いてしまったり、コンセプトがわからないものなどが出てくる。それらの気づきについて、作者へ直接質問をしては、どういう作風を目指しているのかを推し量り、あわせて私なりに良かれと思うことを言う。すると、作者から作品についていろいろなことを答えてもらえたら、次はもっと面白いことが語り合えるかもしれないと、ワクワクしてくる。

私はこのようなキャッチボールを大切にしている。なぜなら、美術家は自分ひとりではなれない。いくら才能や素質があっても、客観的な視点がなければ、先入観や思い込みに陥りやすい。自分で自分の個性はよくわからない。誰かと美術談義や雑談しているうちに、思いもかけないことを発見していく。アイディアやヒントなんて、どこにどうあるのか知れない。可能性を知るためには、外からの刺激が必要になる。

 つまり、美術家は成長するきっかけになるものと出会わなければならない。これまでの自分と同じようにならないように、異なるところからアプローチしていって、新しい感覚や発想を創り出すチャンスを求めること。現状の能力を客観的に知って、一から自分を見つめ直したら、いつもで初心者のように学ぶことができるのだろう。

知ろうと根性

日常生活で何か知りたいことができた時、インターネットを使えばすぐに検索して調べることができる。ただし、それは誰かが必要な情報を書き込んでくれている場合で、すべての情報が適切に網羅されているわけではない。だのに、このことはついつい忘れられて、検索すれば、何でもわかると思いがちになりやすい。もちろん、かなりたくさんのことがわかるから、いつの間にかネット検索すれば、あらゆる情報が手にできるような錯覚に陥るのだろう。

私は美術談義する時にタブレットを使って美術情報を調べることがある。これはわかりやすく伝えたい時やハッキリと思い出せない時、はたまた、初めて教えてもらう時などに検索すれば、話しの花がきれいに咲くので利用することが多い。これを私は知ろうと根性と名付け、初心者のように一から学び、断片的な知識を整理し直して、できるだけで正しく覚えることを目的にしている。ある程度、関連あるものを頭の中でまとめておくと会話する時のネタに困らなくなるからだ。

こんな感じでネット検索で日常が豊かになるのなら大いに活用すべきだと思う。頭も会話もモヤモヤしたままでは、余程の発明ができる天才以外は身心によろしくない。知り得たことを使って語り合い、そこから何かを発見して楽しめば、豊かな時間を育んでいけるはずだ。もの知りのAIを仲間にして、ユニークな美術談義を楽しんでみよう!