じっくりと

「時を急ぐとも、春より秋には飛び越し難し」という名言がある。
天へ向かって勢いよく育った木は、上ばかりに向かって伸びていくため、肝心の幹が細くて弱々しかったりする。それ故、横から強い風に吹かれると、その激しい圧に耐えかねて、バッサリと折れてしまうだろう。ところが曲がりくねりながら育った木は、なかなか上へ伸びることはできなかったが、反面、長い年月がかかったことで、根や幹をしっかりとさせて、大きな木になる準備が整っていく。
だからこそ、功を焦ってはいけない。早いから抜きん出ようとして無理をすれば、必ずその反動がやってきて伸び悩んでしまう。如何にも効率が悪いように思えても、じっくりと培っていくことで、土地土地ある栄養素を吸収し、頑丈に育っていくことができるのだ。つまり、可愛い子には旅をさせよ!近道よりも遠回りさせた方が大きく育つ。頭でっかちならないように、さまざまなことを体験して学び、未来への試金石を拾い集めよう!

音吐朗朗

作品を前にして声を出してみると、これまでと感性が違った働きをするかもしれない。その昔から美術談義をしていくうちに、作品への理解が深まるのは偶然ではないように思われる。声を出して鑑賞していくことで、目だけで見つけることのできない作品の面白さを発見する。じっくりと自分ひとりの視点で作品と向き合い、黙って気を散らさずに深く考え込んでしまうと、小さな袋小路の中に入り込んだまま、出られなくなることになりかねない。

だから、声を出し合うことは思いのほか、鑑賞する時間を充実したものにする。ああだこうだ語り合えば、目に飛び込むものが増えて、豊かさを深く味わえるようになる。さらに、だんだん気心が知れてくると、調子に乗って浮世離れしたことをしゃべるから、予期しなかった世界観まで楽しめるだろう。つまり、しゃべって、しゃべることで思考回路も活性化させていくこと。それぞれ違う物差しを活かして、感受性を柔軟に育んでいこう。

褒め立てる

自分で想像したものを具現化することは、後からいろいろと迷い出すことが多くて、なかなか思うようには上手くいかない。頭に浮かんだイメージはごくごくデリケートなもの。せっかくこれはと思う着想が膨らんできたとしても、それを解して一気に創り上げることは至難の業である。

それゆえ、いずれは良いものができるさって開き直り、前向きに取り組むことが大切になる。とにかく、そうやって自己暗示をかけていった方がいい。間違っても自分には才能がないなんて思い込むと、素質があってできることさえできなくなってしまう。やる気次第で可能性を広げられるはずだと、自分を励まし努力すれば活路が開けてくる。

そして、その人の創作活動を応援してくれる仲間との出会いが必要になる。美術家を目指す人のほとんどは、過去をふり返った時に褒められた経験の持ち主。まったく根拠のない褒め言葉でも、噓から出た誠になることだってある。見え透いたお世辞でもいい。わかっていてもやる気が出てくる。つまり、いつも肯定的な意見で作品を批評してくれる人と出会えるように、謙虚さと素直さを忘れずに向上心を持ち続けていこう!

アップロード

「世間では私のことをどう思っているかを知りません。しかし、自分では波打際で戯れている子どもにすぎないと思っている。時々、珍しい小石や貝を見つけて喜んでいるが、向こうにはまったく未知の真理の大海が横たわっているのだ」というニュートンの名言がある。

この言葉は、私の知的レベルは大海を極め尽くすことまではできないにしても、この世の基準は知識が多ければ多いほど良いことはハッキリとしている。だけど、私は子どものように小さなことを発見しては、楽しんで満足しているという意味だと解釈している。

つまり、知識をたくさん身に付けることは素晴らしいこと。けれども、知識を増やすだけではいけない。その人の知識の量が増大して一定の限度を越すと、飽和状態に達して、あとはいくら増やそうとしても、右から左に受け流すだけになってしまう。

だから、修得した知識を整理することが大切になってくる。いっぱいになった頭の中から不要なものを捨てて、スペースを広げていないと新しくワクワクすることが入らなくなる。いつも自分の知識量をチェックして、その都度、一時的に興味を抱いたものを捨てて、新しいことをアップロードしていくこと。多くのことを知っているだけではなく、実践できるように取捨選択していこう。

和顔愛語

今の世の中、コミュニケーション術やトーク術のテクニックを高めるために、基本的なことを勉強できるプログラムがあふれている。しかし、その学んだことだけで使って、人間関係を実際によくすることは簡単ではない。建前ばかりの上っ面なやり取りになりやすい。

やはり、一番大切なのは相手の考え方や個性を尊重すること。目の前にいる方の気持ちを察したり、小さなことを重んじたりして、相手のことを本気でリスペクトしなければ、いくら会話が上手く弾んで盛り上がっても、心のこもった交流をしたことにならないだろう。

禅語にある「和顔愛語(わげんあいご)」。和やかな顔と思いやりの言葉で人に接することを意味する。いつも柔らかく穏やかな笑顔で、相手を思いやる言葉をかければ、自然に和やかな心と心の交流になるという教えだ。つまり、まず自分から笑顔とやさしい言葉で人に接する姿勢がいること。この基本を守って生きれば、明るい日々を育んでいけるはずだ。

明珠在掌

写真制作に取り組む川部那萌さんのモチーフは身近な風景。これを50mmの単焦点レンズで撮るため、被写体を大きく写したければ、ズームができないから、自らの足を使って近づかなければならない。

ただし、どういう風に写すのかを考えながら動き回る時間は楽しい。美しく出来上がることを想像しているのだからワクワクタイム。その瞬間瞬間に浮かぶ直観を羅針盤にして、今まで気が付くことができなかった輝きを探す。

ちなみに川部さんの人柄は、自分を演じず、飾らず、ありのままで、周囲との柔軟な関係性が保てるように心掛けている。これは自然豊かな場所で育ったことで、いくら外観を整えても仕方がないと、心のどこかで悟っているのだろう。

だから、自分のペースで生きているからこそ、さまざまなものが丁度よい速度で出会えている。もしかしたら、カメラをしているうちにそういう感性が磨かれたのかもしれない。このまま素直な心であれば、いくつになっても学べるはず。こつこつと夢に近づいていこう!

備忘録

一昨日まで個展をしていた川部那萌さんについての備忘録。2000年6月、川部さんは山口県北浦地区の美しい海のすぐそばで、今宵なく波乗りを興じる両親のもとに誕生する。とにかく、自然豊かな地域で、春夏秋冬を否応なしに肌で感じ、いろんなことを体験しながら成長していく。そう、川部さんに観察力を鋭く鍛えて、小さな世界を発見できる原点は、生まれ育った場所にあるのだ。

高校時代、いつも目にしている何気ない景色を記録しようと思い立ち、お小遣いを貯めてデジカメを買って写してみたところ、自分なりに切り取った画像に感動する。ばらばらぶしか見えていなかったものが、実は繋がっていたり、具体的に知っていると思っていたことが実は抽象的だったりと、自然を写していけばいくほど、新しい世界観を次々に発見して驚きの連続を繰り返す。

そうなんだ、カメラが写して見るものには現実と空想の二つがある。どちらも本当で、どちらも正しい。答えを曖昧にしようとは思わないけど、どちらかの価値に限定する必要はない。ハッキリとした答えを出すよりも、いろいろな答えを考えながら、胸をワクワクさせる方が面白い。こうして始まったカメラとの夢と希望の旅。自分が楽しいと思えることを表現できる写真の世界へ踏み出していった。