土地

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現在の山口県立美術館がある周辺には、かつて山口師範学校(現:山口大学教育学部)の校舎があって、戦前そこには猪熊弦一郎などが訪れて、熱心に学生たちに美術指導していただいたと、没後の遺産を寄付されて、やまぐち新進アーティストの創設の功労者の画家 田口克己先生に教えていただいたことがある。ちなみに師範学校になる前は幕末の長州藩の指令本部。あの時代、ここに新しい日本を創るために志願した人材が集まり、あらゆる可能性を信じて英知を絞ったことだろう。

そんな歴史があるためなのか、この場所で開催される山口県美術展覧会は、半端じゃないパイオニア精神で溢れている。それは戦後間もない1946年に松田正平氏や尾崎正章氏、三好正直先生などが山口県美術文化連絡会を結成し、翌年、戦前から活動していた美術家に呼びかけて、第1回の県美展を現中村女子高校の旧講堂で開催。政府による報道規制言論統制した社会から逸脱し、思ったことを自由に表現していい社会になるために、在野の美術家の有志たちによって創設された歴史が根底にある。個人の尊厳を時の権力者の気まぐれな心に翻弄させたくないからだ。

だからこそ、ここには反骨の精神が宿っている。明治維新から150年経った今でもマグマが吹き上げて、その熱を感じた美術家たちに創作への闘志を燃やしていく。1979年12月、県立美術館が誕生した年に行われた県美展では審査については、「作品主義という原点に立ちかえり、厳選主義を貫き、作家にとって競い合う県美展へと、脱皮するため、県内審査員に捉われず、今日的視野から純度の高い審査を期待できる人物を選ぶ方向が確認された」(1985年3月天花第23号より抜粋)という姿勢は、今現在の県美展でもまったくぶれていないポリシーだ。つまり150年以上に渡って新しい文化に挑戦していけるのは、この土地から生まれる熱いエネルギーがあるからだと思う。