大道長安に透る

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禅語の「大道長安に透る」。この長安とは唐時代にシルクロードの中心として栄えた都のことで、誰もがその大きな道を透る(通じる)ことをいう。この言葉は修行していくことは何も難しいことをやる必要はない。朝起きて顔を洗い、身の回りを掃除をして、ご飯を食べて働いていくなど、日常生活の一つ一つが大事な修行になるのだ。言いかえれば、それ以外に修行というものはない。だから日々何気なくしていることを疎かにせずに、すべては修行になると信じて励みなさいという意味として用いられる。

ただし、なんでもかんでも身の回りのことをただやれば修行になる訳ではない。しっかりとした志や夢を持って生きることが、大前提になくては成長することはない。いつも自分自身が発展することを願い、こつこつとに努力していくことで、ちょっとしたことがヒントになったり、心を鍛えるトレーニングになる。つまり、どんなことも自分の人生を彩る演出だと考えて取り組むこと。好き嫌いで判断して無関係だとしてしまうと、修行するための絶好のチャンスを逸して、自分が歩んでいく道を大道にすることができない。道を大きく広げて創っていくために、すべては繋がっていると考えて取り組んでいくのだ。

ところで、美術家 山根秀信さんの作品「L`objet - 風景」シリーズ。どこにでもある郊外の住宅地や商業施設などを独自の視点から捉えて、フィルターを通したようなぼんやりと表現していって、身の回りにある見慣れた風景を特別なものに感じさせる。いつしか観る人の心の中にある風景と交ざりあって、過去にどこかで観たような気持ちにさせられる。この作品群を観ていて、「大道長安に透る」という言葉が浮かんだ。これぞと熱心に創作していけば、なんでもモチーフになっていく。自分らしい表現を求めていくことで、芸術という大きな道にも繋がっていく。無駄なようなことを磨き続けて、有用なものにしていけるのが、美術家という職業の人の仕事なのだろう。