ネーミング

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先週のNHK Eテレの番組 先人たちの底力 知恵泉は「雪舟 失意の都落ち?!天才画家の逆襲」。なんとも馴染み深いテーマ。しかし、「自分が何者であるかを自分でブランディングする」と、これまでになかった切り口で攻めいていた。これは30代半ばで京都を離されて山口へ来た時に、インパクトが必要だと案じて『雪舟』と名乗るようになったが、それではアピールが不十分なので、龍崗真圭(りゅうこうしんけい)という高僧にキャッチコピーを頼んで、人々の関心を惹くための戦略を実行していったのだ。

ちなみに雪舟という名は、以前に中国で使われたもの。そのため、どこか後ろさがあるため、「『雪』は純浄で塵のない心の状態であり、『舟』は恒に動と静を繰り返す心の働きである。それらを得た雪舟の絵は『心の絵』である」と、一筆を書いてもらい、自分の名前として既成事実をつくって広めたのだった。

たしかに美術家の名前は作品の入り口であり、名前に込めたい願いや思いなどから、さまざまなイメージを想像させられていく。みんな名前に凝ってしまうのは、鑑賞者に個性的な印象を鮮明に定着させたいからだろう。私は11年前に横浜トリエンナーレで、山口市出身の美術家 末永史尚君も出展した4人展のことを思い出す。この企画展は偽名による架空のアーティストによるグループ展で、会期中は一切本名は公表せず、情報をシャットアウトして、純粋に作品鑑賞と向き合う展覧会が行われた。つまり、雪舟逆張りというのか、いつの間にか名前から生まれてくる固定的なイメージに一石を投じたのだ。嗚呼、こじつけだけど面白いことに気が付いた。次に末永君と出会った時に、この話しをしてみよう。