存在と時間

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昨夜はNHKオンデマンドで、Eテレの100分de名著「存在と時間 ハイデガー」を視聴する。20世紀最大の哲学者の一人であるハイデガー。私は高校時代に、ほんのわずかしか触れていないのでまったくの門外漢。正直、なにもわからないから、この機会に向かい合うことにした。すると、私が美術について思っている疑問に、腑に落ちる回答だと感じることが多かった。
その1つを例として挙げるとすれば、人間というものは、誰しも過去の思い出とか記憶とかを持っているし、そして、未来への展望をも持って存在している。みんな単にこの瞬間だけに生きているのではない。現在以外の時間とも繋がりを持って生きている。だから、今この瞬間に目の前にあることだけでは、その人を正しく捉えることができない。例えば、目の前のリンゴは、今この瞬間に存在する物体として認識できるもの。しかし、目の前の縄文土器は現在あるものだけど、それによって縄文時代に確かめることができる。だからと言って、目の前の縄文土器あるだけでは、縄文時代の存在を証明することはできないと語っていた。
この哲学的な発想は、美術鑑賞の基本と似ているように思った。なぜなら、美術館などで展示されている作品は、観たまんまだけで作者のコンセプトやメッセージを読み取ることはできない。さらに、作品表現にまつわる様々な技術的なことや、独創的なものを感じさせるインパクトに、その作品から論争が起こることへの期待値の評価など、ただそれを観ただけでは語れない作品がほとんどだ。つまり、美術作品を観ただけでは鑑賞したことにはならない。美術作品について深く考えて、自分らしい言葉で言い表そうとすること。この作品についての問いを洗練化させて、より的確な批評にしていくことが大切なのだ。美術鑑賞とは作品の知識があるなしに関わらず、作品から感じたことを自身に問うこと。自らがこの世に存在していることを感じるのだ。当たり前を洗い落として、より純度の高い思考を求めていく。以上、ワンシーンでここまで書かなきゃならないから哲学は本当に深いものだ。