飛耳長目

f:id:gallerynakano:20220415235030j:plain

松陰先生が好んで使った「飛耳長目(ひじちょうもく)」とは、中国の古典に由来する。その意味は、自発的に知識や見聞を広げていくこと。自分の目で鋭く深い観察していくことを指す。いわゆる人生では自ら体験して得た情報こそ、もっとも価値のあるものになってくる。松陰先生は兵学者として日本列島をまたにかけて歩き回り、さらに、江戸から戻った藩士などに会っては情報収集を行い、未知の領域へ好奇心をかきたてて見聞を広めていく。あらゆることに耳を澄ませてよく聞き、目もしっかりと開いてよく見て、脳裏にしっかりと焼き付けていった。
松下村塾の塾生たちはその後ろ姿を追い求めて、いつも感性のアンテナを高く立てて、いろんなことに関わっていった。そして、塾生たちがお互いの意見を交換する時には、常に自分の足で稼いだ情報で語り合うこと。宙に浮いたようなことを言ったところで、机上の空論になってしまうだけ。それ故に例え稚拙だと思われても、これまで肌で感じてきた経験をもとに、自分らしく言葉で発することで説得力が生まれてくる。自分の考え方で伝えていくことが大切になるのだ。
つまり、どんなに時代になってもこの教えは不変だと言える。今のようにネット社会になって、手軽に検索しては多くの情報を得られるけれど、実際に自分自身で動き回って得ていないため、その場しのぎの情報はすぐに忘れていくだろう。その一瞬にはわかったつもりになっても、次の瞬間には新しいことが入ってくるため、古い情報は新しい情報によって消されてしまう。だからこそ、切磋琢磨できる仲間と本気になって個性をぶつけ合おう。そうすれば、それまでぼんやりしていたことが、仲間と語り合っていくうちに具体的になる。ダイヤモンドはダイヤモンドによって研磨するように、人の才能は人との出会いによって磨かれていくはず。それぞれの熱い思いを語り合って、いろいろな談義を繰り返しながら成長するのだ。