見えてくる

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昨夜、遠方の友からFBメッセンジャーに「NHKラジオ番組 高橋源一郎飛ぶ教室に、目の見えない人が美術鑑賞する「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」という本の紹介がありました。とても興味深かった。もしよければ、録音、更に紹介された本を読んでみてください」という書き込みがあった。そこで、聴き逃しで番組を拝聴してみると、なるほどだ感じるものだった。

その内容は、年に何十回も美術館へ通う全盲の美術鑑賞者の白鳥建二さんを中心に、友人たちとともに作品を前にして、それぞれが感じたことを会話するうちに、新しい視点から作品を楽しめるようになること。白鳥さんへ作品の印象を説明しようとすれば、一般的に使われる美術用語ではなくて、その人の好きことを自由に語り合うことで、個性的な美術論を次々に展開していって、それまで違う何かが見えてくる。つまり、白鳥さんの見えない目を通して、普段見えていないもの、一瞬で消えゆくものなどの存在を発見していく。ついつい当たり前に見えると思って、深く見ないままにしている自分がわかっていく。

本来、美術館とは秩序や法律から解き放たれて自由な空間。だのに、実際のところはさまざまな常識や知識によって不自由さがはびこっている。白鳥さんはそんな風潮を独自の鑑賞方法で関わっていく。各自の作品認識のずれを対話してシュアしつつも、無理に1つにまとめようとはしていない。あくまでも個性的な感覚で楽しむことを尊重するのだ。エンディングで「白鳥さんが美術に出合うことで起こった変化は、何も彼自身のことに留まらなかった。彼と言う存在に触れていた人たちの意識や人生もまた変わり、静かな湖面にたつさざ波のように、スッと遠くまで広がっていった」といい、白鳥さんがいることで、みんなが美術を好き勝手に言える環境になることに敬意を表していた。やはり、美術鑑賞には答えがない。だから面白がるセンスを羅針盤していくことが大切になるだろう。