常識

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先月、美術館で県美展の作品を観ていた時に、「美術の常識」について議論している人がいた。私は特に聞き耳をたてたわけではないが、すぐそばで話すから聞こえてきただけ。ちなみにその内容は、技術的にも大したことないし、ガツンと来るほどのインパクトもない。こんな美術の常識がない作品が、なぜ評価されたのかが、よくわからないというものだった。ご本人たちの作品について自由に語り合うのはいいこと。また、そういう風に言いたくなる気持ちは理解できなくもない。しかし、この作品はそこまで常識を逸脱した表現だとは言い難い。つまり自分の中の自分の物差しで測れない作品はその人にとって非常識の美術にしてしまう。これまで養われた感性では受け付けたくないのだ。私は思わぬ所で学びの時間になったことに感謝し、その場を後にして次の作品を鑑賞することにした。

それにしても世の中の常識ほど、不確かなものはないと思わされた。「美術の常識」という言葉は言いたい人は、おそらく自分の観察力や想像力に自信がないのだろう。美術鑑賞していく上で知識を重視するばかり、はみ出したものに対して厳しい評価で排除しようとする。知らないことは恥ずかしいと思うコンプレックスから揚げ足取りの言動が生まれやすい。結局のところ、美術なんて人の数ほど種類がある。それぞれの遺伝子が違うように、それぞれの作品の個性も違ってくる。これまで努力して多くの美術に触れてきたけど、この世界にはもっともっと多くの作品があるから知らなのは当たり前。そうやって開き直っていくことと、だからこそ生きている限りは学ぶのだ、という謙虚な気持ちで続けていこう。美術は諸行無常で変化していく。たくさんの素敵な発見をしていって、終わりなき旅を楽しんでいきましょう!