ビワの種

能で大成した世阿弥の名言に「この物数を極むる心、即ち、花の種なるべし。されば、花を知らんと思わば、先ず、種を知るべし。花は心、種は態なるべし」がある。
この言葉は、幼い頃から積み重ねてきた数々の稽古によって、演技は美しく磨かれて芸は身についてくる。品の良い所作や姿勢で動作を行えるようになれば、自分だけしかできない洗練された創造力で表現ができるようになる。たとえ花は枯れても、種さえ残ってくれれば、また新しい年に綺麗な花を咲かせるように、まずしっかりと型を会得することができれば、花は散っても再び咲かすことができるという意味だ。
ところで、臼杵万理実さんが小学校低学年だった頃、給食のビワの美味しさに感動して、あまりの嬉しさに舞い上がり、口の中に残った種を嚙み続けた。ついにはそのまま下校してしまい、家に帰ったからはゴミ箱に捨てるわけにいかず、お庭に隅っこの土の中に埋めたのだった。この程度のエピソードはどこにでもあるあるで珍しくはない。しかし、ここからが違った。なんと芽が出てきて、すくすく伸びて立派な木になった。そして、毎年初夏にはビワの実を楽しめるという。嗚呼、事実は小説より奇なり。これは彼女が持っている不思議な力なのか?それともお庭の手入れを真面目にしていたご両親の賜物なのか。その真実はよくわからないけど、今年もビワの木は彼女の成長を見守っている。感動したことの原点として影響し続けているのだろう。