風性常住

禅語にある「風性常住」。この言葉は、扇をあおぐ禅師の姿を見た一僧が「風はいつもそこにあり、行き渡らぬ場所などないのに、和尚は何を思って扇を使うのですか?」と問うと、「おまえは風の本性は常住であることは知っているが、未だどこにも行き渡らぬという道理がわかっていない」と返答してきた。そこで一僧は再び、「どこに行き渡らぬというのはどういうことなのですか?」と問うと、禅師はただ黙って扇をあおぎ続けて、その様子を見ているうちに、一僧は真理を悟って禅師に礼拝しました。
つまり、風とは何かを観念的には理解している。だけど、それではまだまだ不十分。手で扇を持ってあおいで風を起こせば、自然に風がなくても風が起こせるように、お寺に入って具体的に修業するだけでは足らない。ずべての生活そのもののに仏性の意味を見い出すこと。厳しい就業に取り組むことと同じように、食事の支度も掃除も修行だと思いながらやれば、修行の道から外れてしまうことはなくなる。人間は皆仏の子どもなのだからと意識することで、自然に仏の道へと歩めるようになるはず。だから、日常生活においても仏道を問い続けることが大切になるのだ。
それゆえ、創作する人も創作を極めるには同じことが言えよう。あるがままに自分らしく生きていくこと。朝から晩まで創作に取り組めば、才能が向上するほど単純ではない。それより俗から離れて、美術の世界に没頭できる環境づくりを目指していく。どうしたら上手くなるのかにこだわり過ぎず、欲張って余計な理屈をこねて複雑化させていけない。創作について迷いながらも大好きなことだと常に原点を見つめること。普段の時間からも理想へこだわっていくことで、無意識の中の意識が働くようになって、さまざまなことの中から新しいこと発見できるだろう。