堕落論

先週、中原中也記念館から次回企画展の「坂口安吾中原中也――風と空と」のお知らせが届いた。私はこれまで安吾の作品は読んだことがなかったので、この機会に少しは触れてみようと思い、図書館で初心者向けの本を借りるまでは良かったが、例年より早く梅雨明けをして、蒸し暑い夜に向き合うのはなかなか辛い。それでも折角だからと気合を入れて懸命に読んでいくと、その言葉の熱量の高さに感心させられて、真理のついた言葉にあれこれと考えさせられたのだった。

中でも堕落論の有名な一節、『間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない』は、本当に衝撃的なものは感じた。とことん堕落するとは何かと言えば、人は生きていく環境の中で、いつの間にか何かで装うようになるから。それゆえに徹底的に虚飾や常識、さまざまな価値観を疑い、虚栄に満ちた服やた鎧を脱ぎ捨てよう。素っ裸になって世界の底に堕ちて、そこから這い上がることができれば、本物の自分になれるだろう。

そんなロックミュージシャン顔負けの言葉は、正直さがあって心の奥まで響いてくる。他人の価値観に振り回されないために、世俗にまみれた自身を批判したのちに、本当の自分の姿をえぐりだしていく。真っ向から世間の常識と戦う姿勢に感心するばかり。おかげで読書の速度は一向に上がらず、モタモタが続いてしまっているけど、こうして胸に手を当てて立ち止まることが、安吾が読書に臨んでいることなのかもしれない。