わかりにくさ

私はしばしば、親しい仲間に美術作品を語る時は何かに例えて会話が弾むに心掛けている。それはゼスチャークイズのように身体を動かしたり、なぞなぞのヒントのように、むしろモヤモヤさせるものだったり、とにかく、その人のイメージをできるだけ膨らまさせて、自由に語り合える雰囲気になることを目指す。もちろん、本質を失っては意味がない。表面的にわかりやすくすると醍醐味はなくなるし、細かく語り過ぎれば、自分で大事な部分を考えなくなって、楽しく想像することができなくなる。

なんてたって美術鑑賞の答えは1つだけではない。人それぞれ自分の答えが異なるのは当たり前。言い換えれば、どんなことを言ってもあながち間違いではない。それくらい裁量の広い自由さはあるけど、すべてを自由に語れるほど単純明快ではない。実際はいろいろ複雑なのだというより、あれこれ要素を引き合いに出し、面倒くさがらないで丁寧に語り合えば、それこそが最高の美術談義だと言えるのだろう。

つまり、無理矢理に結論に導こうとはせず、成り行き任せを大切にしていく。美術作品をこういうものだと思い込まず、言葉にならない曖昧なものはそのままにする。一番よくないのは、わかったつもりになること。ひとたびわかったつもりになると、それ以上、作品と深く関わろうとしなくなる。やはり、限られた時間ではそれなりのもので十分だ。短時間でぱぱっとしたやり取りではそこそこの内容でいい。興味深く味わう意識を高めること。あくまでも次の繋ぎに徹していくだけ。