関心を払う

ある時、一休禅師のお寺に訪ねてきた男が「生きていくうえで一番の知恵を教えてください」と頼みこんできた。そこで一休さんは黙ったまま筆をとって「関心を払え」と書いて手渡した。すると男はそれを見て「どういう意味ですか?」と、一休禅師に尋ねたところ、再び黙ったまま筆を取って「関心を払え」と書いて無造作に手渡した。そして、このやり取りをなんども繰り返した後に、ついに男は馬鹿にしていると言い放って、怒って帰っていきました。

いわゆる人は関心を寄せるものが多ければ多いほど、さまざまなことに可能性を創り出すチャンスにめぐまれてくる。これまでの先入観や常識にとらわれずに、直観力で感じるものに関心を持つことで、時代の流れに左右されることが少なくなる。なぜなら、一つが駄目になったとしても、次の一つに活路を求められるから。いつもフラットに関心を払うことで、その瞬間に最善なものが浮かび、必要なアイディアが生まれやすくなる。

つまり、関心とは自分の人生を豊かにするためにある。楽しいことや素敵なことに関心を払えば、その結果、好奇心は掻き立てられて、観察力は格段にアップしていく。あまり馴染みのないものでも、本質を知ろうと関心を払えば、自分の価値観が広がってくる。だから、美術や文化に対する関心だけではなく、いろんなことにアンテナを張ってみよう。少しでも感触があれば、創造力は発動していく。それ故に純粋に関心を持つことが大切になるのだ。