ベテランの画家は、どこにでもあるような平凡な画材や道具を使って作品を制作をしている。それはやはり長いキャリアで養われた忍耐強さがあるから、上手くできるまで粘り強く取り組んで、こつこつやるうちに素晴らしい効果が出てくる。要するに画材や道具によって質が高くなるのではない。熟練した技術とセンスによって上質なものにしていく。例え最初は並の素質の人であっても、自分らしい個性を追求し続ければ、必ず独創的な表現力にたどり着けるはずだ。

このたび、ひさしぶりに展示した冨永恒光先生の作品を観ているうちに、上記のようなことが頭の中に浮かんできた。とにかく、小さなことでも面倒くさいことでも、曖昧にしたり誤魔化したりはしない。いつも基本に忠実に我慢強く描いていくこと。こうすれば早く良くなるなんて近道はない。創作することに情熱を持ち続け、生真面目に地道な努力していくだけ。とはいえ、先生の作品制作はとても柔軟さがある。計画的に創り上げようしないで、どこまでも感性の赴くまま自然体。だから、今観ても古さを感じさせない。先生の魂である作品は生き続けているのだろう。