1983年11月6日、母校に盆と正月が一遍にやって来た。それはこの日サッカー部は選手権予選決勝戦で
小野田工と延長戦後のPK戦に勝って、3年ぶりの全国大会出場を決めれば、同じ日に野球部は
岡山市の県営球場で行われた秋の中国地区大会決勝戦で近大福山を7-2で破り、春の選抜高校野球への
出場を確定させたため、ダブルで全国大会出場が決まりました。
小野田工と延長戦後のPK戦に勝って、3年ぶりの全国大会出場を決めれば、同じ日に野球部は
岡山市の県営球場で行われた秋の中国地区大会決勝戦で近大福山を7-2で破り、春の選抜高校野球への
出場を確定させたため、ダブルで全国大会出場が決まりました。
多々良学園3(5PK3)3小野田工
ちなみにこの時代はサッカーはマイナースポーツだったので選手権の主催新聞社の
記事にはサッカー部でなく、野球部の決勝戦が写真入りで掲載されていましたから、
あの頃を思うとサッカー文化の裾野は大きく広がりましたね。
記事にはサッカー部でなく、野球部の決勝戦が写真入りで掲載されていましたから、
あの頃を思うとサッカー文化の裾野は大きく広がりましたね。