ぶつかり稽古

 

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昨日の夕方、次の作品展の準備をしていたところ、予告もなく二人の若者がやって来たため、しばし手を休めて美術談義をする。やはりわざわざ会いに来てくれたのだからありがいこと。私は彼らに会う時はなんでも話せて心許している。それは同じ目的地へ向かっていける価値観があって、また、一緒に何かを勉強し合おうという熱気があるからだ。この日も私は自分が経験したことについて語って、彼らはピカピカに尖った感性で感じたことを遠慮なく発言し、お互いに自分にないものを補いながら刺激し合った。

そんな活力を運んできてくれる人、チームプレーのように助け合う仲間は、人生においてもっとも必要な登場人物たちだ。前向きな思いが枯れてしまわないように、定期的に必要な栄養を補充し合うことができる。それが有償だったら利害だけが一致するドライな関係。この世の中を歩んでいたら、時には世知辛いこともある。なんだかんだ言っても、きれいごとだけでは生きられない。水清ければ魚棲まず。ほどほどの濁りとは寛容さであって、人間関係を円滑するものなのだ。

そうではなく年齢の差を超えて夢を語り合える間柄。無償の関係と言うべき馬鹿正直な子供のような関係。そこには駆け引きがなく、呆気らかんとしている。腹の中が真っ白で損得勘定なんて存在しない。ビビッと来た直感を信じで敵味方を判断し、動物的な感覚を羅針盤に行動してくる。つまり若者とはお互いに体当たりすること、切磋琢磨しながら仲良くなれるのだろう。いろんなことを積み重ねながら、付き合いやすい距離感を知ることが大切だ。これからもぶつかり稽古あるのみ!体力と気力が続く限り、彼らとぶつかりあって、素敵な化学反応を起こしていくのだ。