プロであるために

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先週、美術の世界でプロと趣味の人との違いについて問われることがあった。なぜ、プロと呼ばれる人の方が高い値段になるのでしょうか?そこで私なりに考えていることで回答することにした。いわゆる趣味でやっていると公言する人は、美術の歴史や価値観などに深く関わろうとしていない。今日一日がそれなりに楽しかったらそれでいい。美術の過去や未来なんてどうでもいいと心の片隅でそう思っている。はっきりと目に見えることはわかるけど、よく見えないことを単純にわからないで済ませようとしている。あれこれと理屈をつけては自分自身の力不足を認めようとしていない。いろいろなことをしなきゃならんのに、後手後手になって漫然としたまま何もできない。未完成や駄作だとレッテルを張って、ただ一方的な視点から考えているだけだ。

本物の美術作品だと認めてもらうためには、誰もがうなずける世界観が必要になる。創作はいろいろなことさえ継続してやっていれば、何とかなるはずだと安易に思わってはいけない。自分はプロなのだと本気で言いたいのなら、一番大切なことはその目的を明確にしていくこと。人は欲深い生きものだから、すぐに評価されることを重視したくなる。恥も外聞もなしに流行を追随すれば、おこぼれを少しでも手にして得だと考えやすい。二番煎じでも三番煎じでも一瞬でも目立ったらそれでいいというのは負け犬の遠吠えだ。自分らしさが発揮できない人生なんて馬鹿馬鹿しいこと。何も考えずに成功ばかりに夢中になるのはやめよう。結果ばかりを求めても意味はない。美術は創意工夫する過程こそが面白い。試行錯誤する時間が長いから創造力は豊かになる。いつも美術家魂を前面に押し出していくこと。羅針盤は自分のこだわり以外に何もない。自分自身の値打ちを高めて、それにふさわしい値段で勝負するのが美術家だと思う。