変化できるもの

昭和の時代、美術の世界は力を持った人の発言力が強かった。そのためなびく美術家たちは多かった。もちろん、むやみやたらに逆らっても勝ち目はない。生き残っていくための処世術として、身につけるのが暗黙の了解であった。しかし、それでは誰かの顔色を伺いながら生きていく人生になる。時の権力者たちに言われたとおり、それに従って調子よく立ち回っても、いずれメッキが剥げる日がやってくる。なぜなら時代はやさしく立ち止まってくれない。どんな人も永遠に同じように生きることはできない。諸行無常なのである。だからいつの日か新しい波に呑まれて流されてしまうはずだ。

しかしながら、そんなドンヨリした空気は、平成になっても変わらなかった。特にバブル景気の頃は、昭和文化の総決算というべきもの。「素晴らしい美術は美術評論家などの専門家が選び、それをマスコミが大々的に報道して、そして、一流の百貨店が展示販売する」という、いわゆるメジャーステージの方程式というものがあった。これを歌謡界で例えるのならレコード大賞紅白歌合戦の大とりを務めたら、一生食いっぱぐれがないと言われるの同じようなもの。日本の文化は良くも悪くもまだまだ独自ルールでやれる平和な時代。豊かな経済にも支えてもらって穏やかに過ごしていたのだ。

これがウィンドウズ98からネット社会が身近になって一変する。様々な価値観との交流が盛んになって、あっという間に多様性が広がっていった。海外のコアな文化が怒涛の如く押し寄せてきた。つまり、メジャーからインディーズステージに転換していく。「創作」「評論」「アピール」の三種の神器を、SNSなどを通じて自分ひとりでやっていく。ここ10年間は自己プロデュースのスタイルが主流になってきている。そして、令和2年はかつてないほど価値観が変化せざる激動の年。ピンチこそチャンスの始まり。これをチャンスしよう。新しい文化の騎手になろう。吹いてくる風の変わり目を逃さず、この世界を愛のあるアートで包み込んでやりましょう!