耳したがう

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私が50歳になった頃から、世の中の移り変わりは速くなり、ちょっと油断して目を離せば、あっという間に新しい波にのまれてしまう。また、これまでになかったものが登場し続け、ようやく馴染んできだと安心していたら、すぐに次のことを覚える必要性に迫られていく。いきなり昨日まで常識だったことが、今日には通じなくなってしまうほど、いくつもの変化が様々な分野で起きているのだろう。

結局のところ、新しいことを意欲的に勉強しなければならない時代になったのだ。次々に生まれてくるものの良さを知るために、足らない考え方を補充しなければ謳歌することはできない。時代と共に変化していくものを多角的に眺めて、自分の経験から分析して捉えるために、知識を増やしていくことが大切なことだ。とはいうものの、新しいものを柔軟に受け入れるにはそれなりにエネルギーがいる。年齢を重ねると頑固になるのは信念があるからではない。新しいことを吸収するエネルギーが欠けてくるから。好奇心のエネルギーが弱くなっていることが原因だ。

だからこそ、論語の「60にして耳したがう」だ。この言葉は60歳で他人の意見に反発を感じず、素直に耳を傾けられるようになることをいう。まだ私は60歳までは少し猶予があるけど、今から準備していけばそこそこやっていけるはず。好奇心のアンテナを磨いて、心躍るものをキャッチしたい。人生はその年齢にならないとわからないことばっかり。若い頃はとても理解できないことでも、人生経験が豊かになると理解できることもある。歳を取って面白くなること、楽しめることは山のようにある。今後の私は感性の瞬発力を高めながら、好奇心のスタミナを鍛えていって、エネルギッシュに生きることが目標である。