執念

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1986年の夏の終わり、私は前年の現代日本彫刻展で、大賞を受賞し田中米吉先生の作品を公園内に移転する作業をお手伝いする。その作品は大きな長方形の鉄のほこが空中にぽっかり浮かびながら、風が吹くとゆらゆらと泳ぐように動き出す独創的なもの。鉄は重たいものという常識の殻を破って、ゆるやかに動き回る鉄の作品を観ていると、物理学は本当に正しいのかと疑いたくなってくる。重力がなくなったエキセントリック世界を表現した作品である。

このようなデリケートな動きをする作品の設置は想像以上に大変だった。長方形の四隅にある個所に小さなおもりを置いては、作品が水平に釣り合うまでひたすら繰り返して調整していく。パソコンなどのハイテクがない時代。気力と根性で乗り切るしかなかった。一に二にも地道な作業を行って、ようやく先生から良しと言われる。私はこの時に「先生は最善じゃなくて、完全にやりたいのですね」と言ったところ、大真面目な顔で「オレはこの彫刻展に命をかけている。これくらいは普通だ」と、思いっきり熱い言葉のリターンにビビッてしまった。

なお、この言葉には大きな理由があった。それは1969年2月、家業と創作による過労から、眼底出血を起こして山大病院に入院。失明の危機に立たされる。そんな絶望的な時に、一本の電話がかかってきた。その主は画家の香月泰男先生で、「君に、現代日本彫刻展の招待状が来ているが、やれるか」という問いだった。もちらん、答えは1つしかない。涙を浮かべながら「やります」と答えて、彫刻展へのチャレンジが始まり、三角形のドッキング作品が誕生する。この作品は人間の機能性追求に対する危機感を象徴したもの。先生は地獄の底を通過して、執念で創り上げた作品だから命がけだと言えるのだろう。逆境に負けない創作意欲に脱帽させられる。(続く)