見えざる手

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約35年前、物心がついた頃から部屋の片隅で、思い浮かんだものを描くことが好きだった。ちなみにそのモチーフは人とか動物とか乗りものではない。高い所から街を見下ろした地図のようなものを線で描いていく。来る日も来る日も新しい紙の上に複雑に入り組んだ迷路のような線を描きまくる。ついには紙と紙を張り合わせた絵の大きさは六畳の部屋いっぱいになって、さらにはその上にプラレールやレゴなどを並べて、都市の景観を想像しては悦に入っていた。

その後、高校2年生になって美術大学を目指すことを決心した。しかし、平面表現ばかりをやっていたことで、受験美術に必要な人物や静物の明暗を表現して、立体感を出すデッサン力が乏しくて苦戦する。高3から美大予備校に通い始めたものの、我流で身に付いたクセは簡単には治らない。それでも必死に努力を積み重ねて、2浪後に約40倍近い競争率を突破して東京藝大へ。ただし、これでめでたしではなかった。学部生の4年間は受験美術で体得した技術に悩まされる。たしかに上手いけれど、独創性のない表現になるのだ。芸術の道は一筋縄ではいかない。

そうした大きな壁を乗り越えていく。冷静に自分の活かし方を発見して、修士、博士、海外留学と合計10年およぶ学生生活を満喫する。卒業後、デザイン科以外は就職すると負け組になるため、美術家として歩んでいく。これぞ藝大生が背負う十字架。安易な活動は許されない。それからしばらくして、縁あって東京から山口へ。いろんな偶然が重なった。だけど、そのおかげで豊富な知識や大きな知恵がやってきた。本当に造詣が深く、とても有難いこと。きっと、長州藩御用絵師で、東京藝大開学に寄与した狩野芳崖の見えざる手があったのだ。山口の美術界を活性化させる使者なのだろう。