レボリューション

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山口県美術展覧会は、1979年10月に県立美術館のオープンに伴い、これまで以上に美術文化の活性化と新しい人材の応募作品を増やすために、若手作家にとって魅力のある登竜門的な存在になることを目指す。そこで、審査は作品主義という原点に立ちかえり、厳選主義をつらぬき、作家にとって競う合う公募展のために、県内審査員にとらわれず、先端芸術が理解できる人物を招聘することになる。つまり、県美展の原型はこの時点で出来上がったのだ。ここから変わったのは、7部門制(洋画、日本画、彫刻、工芸、書道、写真、デザイン)から2部門制になって、ついには部門制が廃止されたことと、審査の透明性を図るために公開審査会したことと、大賞受賞者は次の県美展に招待出展するようになった3点だ。
このうち部門制廃止は、1980年の第34回県美展彫刻部門で、吉村芳生さん(当時30歳)の鉛筆画作品「ドローイング新聞 NO13(1万部)」が栄えある最優秀賞(現;大賞)に輝いたことが改革の第一歩になる。いわゆる新聞をそっくりそのまま描いて制作したドローイング新聞を、実際の新聞と同じようにオフセット印刷で1万枚ほど摺り上げて、積み重ねて彫塑(物の像を立体的に表すこと)というジャンルへ出展したことは、審査員も鑑賞者も驚愕させて、大きなインパクトを残した。この作品によって、これからの時代に既存の部門制では収まらない作品の出展が予想され、運営委員会で何度も議論を尽くしてから、新しい創作活動の受け皿になるために、自由な発想から創出したものを活かすために、2部門制に移行していったのだ。やはり、長州にはレボリューションがよく似合う。今も昔も熱い魂が脈々と続いていく土地柄なのだろう。