意味のある画

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「今からの美術は、抽象一辺倒ににはならぬと、私は確信している。意味のある画はおとろえぬ。何を描いたか判らぬような画だけが残るということはあり得ぬ。このごろのいい画は、判らぬ、立派な画ほど判らぬ、ということがあったら、それは紙切れに等しい。抽象化が盛んに行われているが、それは過渡的な段階であるとの説に、私は同意する。

結局、1.美しいリンゴを美しく描く(具象)画(の新しさ)は失われない。2.判らない(抽象)画が必ずしも新しいとはいえぬ。3.当分、(抽象画が幅を利かせているため、具象)画は楽しいものにならぬ。4.(抽象への偏重主義である)欧州の(矛盾だらけの)絵が東洋化(ものの味わい方、観方の探り方方を受け入れ)してくる、との四点を指摘しておく」というのは、約63年前に画家 松田正平先生の言葉である。

昨日、新聞記者さんの作品展への取材中に、リンゴの絵を目の前に語る作者の「家族でりんご園に行くたびに、私だけ楽しくていつまでもいたいけど、みんなはしびれを切らせてばかりで、だから次の年に行こうと誘っても、誰も乗ってくれないんです」という無邪気な声が聞こえてきた。いつもながら天然だ。そして、私は上記の画集に書かれてあった文章を思い出した。このたび展示したリンゴの絵は、大和絵にも西洋絵画にもない雰囲気を醸し出す。未完成は完成よりもワクワクさせられる何かがある。この調子で未来を恐れず変化していけばいい。観る人がわかりやすく親しみを感じる世界観の中に不思議さを求めていこう!