香月泰男狂

f:id:gallerynakano:20210922233559j:plain


「戦争という状況をも、軍隊という国家権力をも、ものともしない芸術家としての強烈な自負があった。戦争のただ中に、絵描きとして放り出され、そして地の果てシベリアで、人間否定の虜因(りょしゅう)生活を強いられ、多くの戦友たちとともに、人間本能の最後の裸形までも覗きこまれた。人間とは、愛とは、生きるとは、終わりのない自問をくり返されたことであろう。この未曽有の受難は、生死をかけた人間の不幸であった。

しかし、芸術家としては、この孤独と悲惨な危機を乗り切り、家族の待つ家に帰りつかれたことは、かえって千載一遇の得難い体験となり、人間の本質に迫る究極の探求に、時代との運命的な出会いとなったのは間違いない。えのぐの箱は、いつも傍らにあった。一瞬々々の得難いイメージが記録され、エスキース(スケッチや下絵のこと)とともに、重い記憶として、帰国の暁には、と、制作を期する資料が、えのぐ箱の底に蓄えられた。これこそ世界を感動させた声なき声の、沈黙の深い叫びで、戦争の虚しさ、人間存在の深淵を、一つの宇宙として、四角の中に現存させられたシベリア・シリーズの貴重なモチーフとなったものである」(文: 田中米吉 香月美術館開館記念展画集 《私の》地球 1993年10月25日発行 鉄砲とえのぐ箱より抜粋 )

数日前、お盆に引き続き米吉先生宅を訪れる。その際に奥様に「先生は香月先生を尊敬していたのでしょうね」と言ったら、「主人は香月教の信者でしたよ」と、お答えくださった。う~ん、「教」ではなくて、「狂」としか聴こえない。なんてたって、香月先生の命日には必ず墓前でお参りしていた。恩人の中の恩人として敬意を表す。だからこそ、香月先生の精神を見習い、最後の最後まで創作へ魂を燃やしていた。最後の最後まで新作へ挑戦して芸術家であろうとしていた。天国へ旅立ち前、幼い子どもが描いたようなぐちゃぐちゃなラフスケッチは、全身全霊で新しい創造力を絞り出していたのだろう。一心不乱に憂いなし。やはり、自分のやりたいことに心が定まった人生は素晴らしいものだ。