照見五蘊

高校時代、曹洞宗立の学校に通ったため、朝礼や宗教の時間に習った「般若心経」。正しくものごとを伝える智慧のお経で、玄蔵三蔵がインドから持ち帰った1335巻の経典を、約20年間ほどかけて、一番大切なエッセンスを262文字に集約して創られた。初めは面食らっていたけど、よくわからないなりに心を込めて唱えていた。なぜなら、当時の校長先生の読経があまりにも迫力があって、ただならむ雰囲気に吞み込まれて、真面目にやるしかなかった。おかげさまで、しっかりと身に染みている。今でも読むことができるし、意味もそこそこ覚えている。今から思えば、本当に有難い時間。感謝するしかない出会いだった。

先週末、そんなことをふと思い出す。県立大4年生の川部那萌さんの写真展で、会場に展示された作品群を観るうちに、般若心経の序文にある「照見五蘊皆空 度一切苦厄」という言葉が頭に浮かんできた。五蘊(ごうん 色・受・想・行・識)とは、人間はいくつかの要素が偶然集まって出来ているので、確固とした実体はない。要するに、私やこの世を形づくってる五蘊はすべて移りゆく運命にある。どんな時も一瞬の産物であって、本質のない幻や錯覚みたいもの。それゆえ、この世は空であるのだから概念に捉われた生き方せずに、在るがままにいきれば、一切の悩みや苦しみから解放されるという意味である。

彼女の作品から五蘊を感じた。私(色)はいつも変化していく。外から来るいろんな刺激を(受)け取り、何かについて(想)像していき、そして、それによって(行)動することで、自分は何を感じているのかを認(識)する。この世は概念に捉われて生きることはなかれ。心で感じたものを羅針盤に、ものごとを自由に楽しめばいい。そんな達観したような作品表現に感心させられる。これは偶然が織りなしたこと。だけど、流れに逆らわない柔軟さに、偶然の美が集まってきたのかもしれない。