唐絵の系譜 将軍家の襖絵 / 雪舟と狩野派

20数年前、近くの文化施設で現代美術のグループ展が行われた。私は会場でひと通り観終わった後、とても気になる作品があったので、再びそこに戻って鑑賞し続けた。ちなみに、その作品は一辺の長さが約20センチの正方形のキャンパスに黒鉛筆のみで描かれたもの。展示された壁から遠く離れれば、灰色でぼんやりとした抽象画に観えたり、数メートル前まで近づけば、何十本の縦線で描かれた縞模様のコントラストの作品に観えてくる。さらに目の前に立つと、縦線の正体はすべて点線で、軽妙なタッチで描かれていて、独特のリズム感が伝わってきた。

私はこの謎の作品の前を何度も行ったり来たりする。とにかく、どのように解釈したらいいのかよくわからない。そんな悶絶している私の姿を見つけて、通訳を引き連れて作者の方から声を掛けてきた。この作品はスコットランドのアーティストで、常栄寺 雪舟の庭を訪れた際に、立つ場所によって、「見えてくるもの」「感じてくるもの」が違うことに深く感銘して制作したと言われた。庭は四季のよって風情が移り変わり、見る人の心もその時々に応じて変化する。いわゆる日本文化特有の「わびさびの世界」を絵画作品で表現していたのだ。

先日、県美で始まった「唐絵の系譜 将軍家の襖絵 / 雪舟狩野派」。この展覧会で作品を鑑賞しているうちにこの昔話をエピソードを思い出す。雪舟は山深い自然の中で肌で感じたものを身体に沁み込ませて、頭の中に浮かぶイメージと実在するモチーフを重ね合わせ、独自性のある世界で美しく描いていた。白と黒との色の間に濃淡によって、豊かな色彩を柔らかく感じさせて、その時々にその人の心に浮かぶものを、心地よくなぞっていくのだろう。やはり、雪舟の作品は、目で見るものではなく、心で触れて感じるものなのだ。そして、年齢を積み重ねるからこそ、発見できることを大切にしたいと、あらためて思わされた。