噛みしめる

私は若い頃から美術館で鑑賞した展覧会の図録は必ず買うようにしている。当時、金銭的に余裕がなかったため、鈍行列車や一般道を使うなど、移動費を節約したりして、とにかく勉強のための投資だと位置づけて、無理をしてまで買っていた。ただし、最初の頃は図録の文章の読解力が低かったので、独特の専門用語で書き綴られた文章を前にして、けんもほろろに打ち負かされて、結局のところ、次々に本棚に飾るアクセサリーにしかならなかった。

ちなみに美術館で展覧会を観て、図録の文章であらためて読めば、理解力がよくなるに決まっている。美術館で展覧会さえ観れば、もうそれで十分なのだということはない。美術鑑賞はある程度の知識を習得して裏付けしなければ、体感して得たイメージや感覚を保つことはできない。私は美術の水に慣れてくるまで、それなりにたくさんの月日がかかった。やはり、根本的に美術センスがよくないから当然のこと。ほとんど予備知識のない展覧会へ行って、楽しく鑑賞できるセンスに達するまで本当に長かった。

近年、やさしく読みやすい言葉で美術を表現している文章を目にする機会が増えてきた。表現においてわかりやすいは良いこと。しかし、あまりにも淡白にすると、本質を噛みしめて楽しむ、歯ごたえがなくなってしまう。これではまるで噛まないで飲み込めるおかゆのようなもの。胃にやさしくて食べやすいことは良いけれど、作品に込められたもの解くために、想像力を働かせて鑑賞するという、美術本来の意味が失われている。美術鑑賞とは、美術にこだわってかじりつくうちに、自分なりの食感や味わいを想像すること。口に入れている時に浮かぶ、イマジネーションを楽しむこと。そういうめんどくさいことで、感性を刺激することで深く楽しめるから、どこまでも就業するつもりでゆっくりと付き合うことが大切になるだろう。