身心の自由

長い間、ずっと住み慣れた家だったら、夜、暗い部屋の中に入ったとしても、どの辺に照明のスイッチがあるのかについて、わざわざ頭で記憶する必要はない。そこで生活していくうちに、数数えきれない反復によって、反射神経のように動けるようになっていく。いつの間にか身体感覚に染みついてくるため、あれこれ考えてから行動しなくても、スイッチの位置へ手を当てることができるのだ。

美術鑑賞もこれと同じようなメカニズムだと思う。こつこつと長い年月をかけて、いろいろなタイプの作品に触れていけば、自分なりに読解するための切り込み口を感じられてくる。心を澄ませて作品に触れていったら、ピンとくる取っ掛かり口に気付けるようになれる。さまざまな常識や知識に迷わされてならない。自然体の自分で作品と向かい合うことで、観えないものを感じられるようになる。

つまり、美術鑑賞とは文字や言葉だけで理解しようとしてはいけない。できる限り常識や知識に惑わされることなく、自由な感覚でのまま作品を読み取って、その人の視点から見つめることが大切だ。世間一般の先入観という色眼鏡をはずし、素直な目で新しいものを見つけ出していく美術鑑賞とは感性で触れていくもの。あるがままに身をまかせて、感性の赴くまま生きればいい。自分らしい感覚を活かして、全身で体感することが大切だ。