先週行った「赤れんが、文化創造の基地へ 」。1992年5月に赤れんがが開館して間もなく、初代館長の村中庸甫さんから、若い美術家が一堂に介する作品展企画を持ち掛けられる。そこで、20代30代の作家に声をかけて、「今・アート・山口!」というグループを結成し、翌年4月に創作分野の垣根を越えて、さまざまなアートによる第1回目の合同展を開催した。
ちなみにこのような形式の作品展は画期的だった。いわゆる美術公募団体などで腕を磨くのが主流な時代。そうして作品が評価されて既定路線に乗っかれば、美術館や百貨店などで活動することができた。立身出世の方程式は明快だ。ただし、それは昭和の名残と言うべきもの。平成になってからは規制が緩和してステージが広がった。新しい波に必然的にさらされて、どんどん変化せざるを得なかったのだ。