何を求めて風の中ゆく

漂泊の俳人 種田山頭火の句に「何を求めて風の中ゆく」がある。この句の本当の意味はまったく知らないけど、そもそも山頭火が詠んでいたのは自由律俳句という、定型に縛られずに感じたままを自由に表現している。だから、どんな答えが良いのかを勝手にあれこれ推測して、面白がって楽しめれば、それで充分いいのではないかと思っている。

いわゆる自分なりの答え探しをすることは、作品に興味や関心があることの意思表示。その人の力量の範囲内のことしかできないけれど、頭に浮かぶことを言語化するうちに、個性的な言葉で語っていけるようになる。自分のメッセージとは求めれば創り出されるのではなく、根気よくこだわり続けていけば、めぐり合うことができるだろう。

「何を求めて風の中ゆく」。風とはいつも変わっていくもの。絶えず新しく変化を重ねていく。その場でじっとしたまま何もしなくても、世の中の方がアップデートしてくれる。そんなまやかしのはびこる人生で、どうやって新味を求めていくのか。運は天に任せて、できる限り自由に生きたい。何を求めるとは何を求めても仕方がないという達観した境地の言葉だ。