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46年前、山口県には公立美術館がまだ一つもない時代に、山口市という全国の県庁所在地で一番人口の少ない街で、当ギャラリーはひっそりと産声を上げる。母が倉敷市の美観地区にあるような小さな文化交流施設を目指して、何の計画性のないまま無謀をもって始めたので、夢見がちで現実離れした人が大風呂敷を広げたくらいに思われていた。

しかし、たくさんの文化を愛する人たちとの出会って、あたたかい後押しがあったおかげで、よちよちながらも前へ進めることができた。自分のやりたいことしか頭になく、いつ頓挫してもおかしくなかったのに、周囲の人たちの支えによって形になっていく。これも室町時代大内義隆から文化の歴史が根付いた土地だからできるのだろう。

そして、今もこの目に見えない不思議な力に支えられている。ここは美術へ挑戦したい人が次々に現れてくるので、なんとかかんとか言いながらも続けていける。自然と美術へ熱い心が湧く人が集ってくるから、文化を創り出すにふさわしい空気が漂っている。だから、何があろうとも挫けることはない。大きく息を吸って頑張ったらいいだけだ。