神の手

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我が家は浄土真宗の檀家なのですが、私は神様の存在をずっと信じている。それは子供の頃からスポーツ観戦が大好きで、およそ偶然とは思えない神秘的なシーンを、数えきれないほど目撃したからだ。ただし、スポーツにおける奇跡とは何も特別なものではない。来る日も来る日も努力したものに、思いがけない幸運がここ一番の場面にやって来る。まるで取って置きのご褒美をプレゼント。神様が手を差し伸べたくなるほど、一生懸命にその世界に打ち込めば、素晴らしい幸運は身近にある。

そう、絶体絶命のピンチを味わうことで生命力をアップする。真正面から生き抜こうとする姿に、神様が惚れて才能を授けてくれて、人知を超えたドラマが生まる瞬間がある。ちょうど冬の寒さが厳しければ厳しいほど、春に桜が美しい花を咲かせるのと同じように、辛い悩みや苦しみを経験しなければ、才能は大きく伸びないし、本物の喜びをつかむことができないだろう。

つまりピンチはチャンスの始まり。たくさんの試練はオセロゲームの石のように、ある時点になったら一気にひっくり返すことができる。すべてのピンチが必要なことを気づかせて、すべてのチャンスのための土台になっていく。どんな時も前向きに生きていくものに、神様は粋なもので手助けをしてくれる。そんな幸運を引き寄せるために、愚直に賢明に努力していこう!