大器晩成

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昨日、正面から美術と向き合っている、親しい美術家と話す機会があった。「自分は何のために創作するのか」、「本当にやりたいこととは何なのか」など、いつもと同じように多岐にわたって悩んでいる。そこで私はその話しを聴くことに徹する。こちらからどうのこうの言うより、話すうちに頭の中が整理されて、自分で何かを決断するのを待つだけだ。自分自身の中に答えを探すこと、それが美術家の仕事だと思っている。要領よく器用に立ち回るより、壁にぶち当たった方がいい。この経験は未来に生きるはず。

例え素晴らしい美術センスがあるし、表現力も技術力もあったとしても、自分がどんな美術家になりたいのかが、よくわかっていないとなれない。本能的に次のステージに行こうとしても、その先のことをイメージできなかったら、どこかの時点で流されて座礁していくもの。つまり一生をかけて、美術と言う世界に向かっていくには、信念を持たなくてはできない。器用に世の中を適当に歩いて、「美術家でございます」という図々しい人もいるけど、そんな詭弁はいずれ化けの皮が剥がれる。

つまり「命短し恋せよ乙女」という言葉ではないが、創造力が掻き立てられる旬な時代に、果敢に自分の才能を挑戦することが大切だ。美術に一生を捧げるためには、向かい合うための意味を探るしかない。だから悩めばいい!マニュアルなんてものはないし、ハッキリとした道標なんてものもない。直感と勇気を武器にして自分らしい美術家になるのだ。美術家と言われるようになるのは簡単ではない。どんな時間をかけても、そうなれないかもしれない。それでも自分の可能性をどこまでも信じて、美術家と言われる人間になってやろう!