論より証拠

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「自分はただ自分に自然が語るままに進むのである」とは、ただいま県立美術館で開催中の「没後90年記念 岸田劉生展」の展示室に掲げられていた言葉だ。私はこれを見てしばらくの間、そこに立ち止まって眺めてしまった。なぜなら、いろいろなことを一瞬にしてイメージさせられて、「美」の冒険が始まると告げられた気分になった。劉生と言えば重要文化財の「麗子微笑」は有名だけど、それ以外に何を描いたのかはよく知らない。そんな自分の知識の少なさを意識させられて、この機会に学習しなければならないという気持ちになった。しかし、やはり私は私なのである。キャプションに書かれたものや一般的な劉生の美術論より、自然に自分が感じることが正しくて、自分らしく作品を面白がることを楽しむことにした。

つまり世間一般に言われている正論より自分なりの見解で劉生を語っていくこと。そもそも美術鑑賞の感想の寛容は広いため、少しばかり的外れであっても、十分にフェアゾーン(許容範囲)として楽しめるものである。そう、こんな時に一番価値があるのは作品に夢中でいられる時間なのだ。どれだけ劉生の作品について一般論を語っても価値がない。自分らしく劉生について語ることが大切だ。この世にいない劉生についてと知ろうとしても限界がある。だから知り得たことをヒントにして、浮かんでくる発想から持論をつくりだし、自分にしかできない考え方を究めていくことだ。このことは作品が違っても、実は同じように楽しむことができる。一番最初に考えることはそれを通じて感性を磨いていくこと。自分を育てようという意識を持って、すべてをポジティブに受けとめよう。固定観念に捉われることなく、自由に感じられるように、本質を鍛えて感性を鋭くしていこう!