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昨日、なかなか会えない年下の仲間から、ひさしぶりに一通のメールが届く。何ごとだろうかと思いながら開いてみると、なんと心が熱くなる言葉が書かれてあった。実はほんの少し昔に、友人から彼が落ち込んでいると聞き、何か役に立つことができないのかと考えて、浮かんだ親父ギャグで笑わせるために、いきなり会いに行って私なりのエールを送った。どんな時代になっても、困った時はお互い様なのだ。結局のところ、人は支え合って生きているんだから、わずかな支えになることを信じて、すべりそうな冗談を言いに行った。その結果は正直に言ったら微妙なものだった。爆笑という訳でもなければ、シーンとなったわけでもない。それでも年上の私に気遣ってだろう、別れ際に「面白かったです。笑えました」と言ってくれた。なんてやさしいやつ。お互い薄らと微笑みながら言葉を交わし、そして、私は彼の魂が復活することを信じて帰路についた。

あれから時は経って、彼は元気を取り戻す。私のエールというより自然治癒しただけ。つまり時が解決してくれた。人はいつも新しいことに挑戦する生きもの。どんなに辛いことでも、どんなに苦しいことでも、新しい明日に何かを始めて没頭する内に忘れていく。そう、誰でも太古の歴史を生き抜いた遺伝子の持ち主。例え後ろ向きになった心でも、新しい出会いで好奇心が生まれ、いつの間にか前向きになっていく。心の傷を再生させる不思議な力が備わっている。ほんの些細なことで、喜んだり悲しんだり、笑ったり怒ったり、また、大きく膨らんだりしぼんだりと、絶えず微妙に変化していくのが人の心。少し違うだけでプラスにもマイナスにも感じ方は変わっていく。そんな心理を彼なりに体感して悟ったようだ。だからこれまでの自分にけじめをつけるため、メールに素直な気持ちを書き綴っていた。とても謙虚さが伝わってくる内容。私の方が学ぶ機会になった。嗚呼、情けは人のためにならず。こうやって循環するからこの世の中は面白い。ありがたい言葉が心に響いていった。