心で捉える

f:id:gallerynakano:20200305221140j:plain


ほんの少し前、子供の頃から絵を描いてるという若者と知り合う。それなりに心得があるので頑張ってきたのだろう。しかし、いつの間にか自己流になって、個性的ではなく偏ったやり方になっている。どこかで自由を履き違えたまま、本質的なことは自分勝手に解釈して、これでいいと思い込んでいた。わかりやすく言えば、本気で美術の世界に挑戦したことはなさそう。自分らしい独自性のある表現を求めて、熱心に創作を取り組んだ様子がなかった。

ちなみにここで私が言いたいことは、しっかりと美術の基礎を教わっていないとか、本格的に美大などで学んでいないから駄目だという訳ではない。日常のありふれたことの中に、ずしりとした重さを心で感じたり、いつまでも残るものとの出会いを感じていない。ひとつの出来事の前で思わず立ち止まり、そこにある空気をぐっと吸い込むことで、予想だにしない化学反応が生まれてくるもの。破片のようなものを肌で感じ、そこから浮かび上がるイメージに、その人のしかない人生観がある。それを漫然と見逃して、味わっていないように思えた。

つまりに美術家になるために必要なことへのこだわり方が甘い。美術家になるためには見えないものが見えなくてはならない。また、見えないものを見えるようなっただけでは不十分だ。普通の人でも見えるごくありふれた光景の描写ではなく、普通の人には見えないものを見えるようにすること。そんな見えないものを見えるようにしようとする情熱が足らない。他の人から見れば馬鹿馬鹿しいと言われてもいい。自分らしい価値観を目指して生きていく。若気の至りと呼ばれても気にしない。未来を信じて血気盛んにトライしていこう。私なりにこのようなことを助言したが、なかなか簡単にはいきそうもない。もっと言葉を鍛えようと思った。