噓も方便

f:id:gallerynakano:20200702215212j:plain


子供の頃、未来はこんな風になりたいと描いた夢は、ある程度の大人になってから考えてみると、実際には上手くいかないことだったりする。このことは子供らしいユニークな発想というのか、現実を無視することで浮かぶ思い込みで、いわゆる世間知らずだからできることなのだ。

私はこのようなことを、ものごとを円滑に進めるには多少の嘘も許される「噓も方便」と似ていると思っている。なぜなら、そもそもこのことわざは仏教用語。遥か遠い宝の国を目指して、ひたすら砂漠の中を歩く旅人が弱気なった時に、指導者が「もう少し頑張ったら大丈夫!」と言って、目的地へ向かい歩み続けさせたことがの語源だとされている。それと同じように子供が大人になっていくためには、とにかくエネルギーが必要なこと。時々はメンテランスで休んだとしても、成長期だから何かがきっと大きくなっている。前を向いて歩んでいったら、それなりになんとかなるのが人生だ。だから子供の嘘って認められるのだろう。

ちなみに美術家になろうと考える若者は、子供の頃から美術家へなれると、思い込んだまま人だったりする。好きなものを追い求めていけばなれると信じている。世の中、そんなに甘くはないけれど、実は辛くなかったりもする。なかなか上手くいかないで、もう駄目だと弱音を吐きそうになっても、自分らしい夢を思い出して、ひと息入れられたら心は元気になれるもの。子供の頃に描いた夢を思い出して勇気が湧いてくる。どこまでも純粋に思い出すことができるかどうかがポイントだ。つまらない大人の世界を知って、不燃物が紛れ込んだら夢はきれいに描けなくなる。いつまでも子供の頃と同じように、目標にする創作へ近づくために、在りのままの姿で真っ裸で生きて、本物の美術家と言われるようになろう!