時を越えて

昨日の午後、山口市秋穂二島に約35年前に私財を投じて建設されたアカペラホールへ。かつてここの主で、クリエイティブスペース赤れんがの初代館長だった故・村中庸甫さんのエピソードなどを奥様にお聞かせいただくために参上する。当時、山口市に新しく誕生した文化施設で、「クリエイティブ」な仕事ができることに意欲満々だったと、少しずつ思い出しながら楽しく語ってもらえた。
ところで、村中庸甫さんは山口市秋穂二島生まれ。同志社大学卒業後に市役所入庁し、文化行政などを歴任された後に、55歳で早期退職をされて、自ら建てたアカペラホールの館長に就任。文化芸術の振興をご尽力されました。正に芸道に執心な人物の俗称「数奇者」という言葉がよく似合う方で、美術の世界では彫刻家の田邊武さんや小田義郎さん、音楽の世界では石井志津子先生をはじめ、数多くの音楽家との積極的に交友されて、美しいハーモニーを奏でていました。そんな村中庸甫さんが「古都巡歴 山口の文化と西洋のえにしをたずれて」と題して生前書かれた原稿を見せていただく。※内容は以下のとおり
いまでも西の京といわれて、中世には大内氏が居館を定め、中国大陸、抽選半島との交易で巨大な富を築き、東洋の文物を移入し、また、フランシスコ・サビエルにキリスト教の布教の許しを与えて西洋の文物に接し、山口のまちは大内文化の花がさきました。それ以来、市内のあちこちには大内氏、毛利氏、明治維新の遺構が点在し、ありし日の栄華がしのばれています。そこで、いまの山口のまちづくりの基本理念は、『自然と文化をはぐくみ、躍動する中核都市をめざす』とあり、その都市像にも心豊かな学習、文化があげられ、山口のまちは古来、自然に恵まれておちついた教育、文化都市になる要素があって、これからも文化はまちづくりの中心におくべきと思います。
という山口愛に満ちた素敵な文章でした。赤れんが30周年のタイミングに拝見させていただき、氏の胸の中にある熱い魂に触れることができたので、とても良かったです。なんてたって当時の村中さんと今の私の年齢はほとんど同じ。なんだか身につまされてくる。帰り際、奥様から村中さんがつくられた黒の楽茶碗を形見分けしていただいたので、早速、お店の棚に飾りました。これからは少しでも村中さんのように、やさしい人になれるように頑張りたいと思います。合掌