ハングリー精神

時より、幼児の頃から絵を描いたり粘土で造形物を作ったりして、美術に積極的に関わっていけば、いずれ美術家になれるでしょうか?と質問されることがある。これはおそらく美術の英才教育をしていけば、どんどんセンスや技術が向上していけるはず。他人の目が気になる年頃になって、美術に対して身構える意識が生まれる前に、いろんな美術に馴染ませていた方がいい。身心が柔軟なうちに美術に馴染ませていた方が、自由で豊かな感性が磨かれていって、早くから美術家になれるという意見を言われると、なるほどそうなのかと思えたりする。

しかしながら、実際はそうは問屋が卸さないことがほとんどだ。たしかに作品制作する能力はかなり高いレベルの域までは到達できる。いわゆる秀でたものを感じさせてくれるだろう。ただし、それだけでは美術家として不十分。なぜなら、訓練を通して獲得した特技の域を抜け出せない。何でもかんでも作ることさえできれば、美術家になれる訳ではない。創作は制作すればいいのではなく、思考や思想、哲学も加味される。いくら技量を身に付けたとしても、その他の教養や社会経験が乏しいと、見えない力を裏打ちできず、表層的なものにとどまってしまうのだ。

つまり、どんな人でも自分の中にあるモチーフを活かしていく。人は誰でも知らず知らずのうちに、自分らしい人生を歩んでいる。どこにでもありそうで、どこにでもないものばかり。その人がその人であればいい。自我に目覚めてからやり始めた方が表現したいものに迷いがない。あんまり早くから始めると、美術家になることが最終目的になってしまい、そこで満足しちゃうから伸びなくなるのだ。最終目的は常に変化するもの。どこまでもハングリー精神であれ!美術家はタフでなければならないのだ。