観見

いわゆる美術鑑賞とは、作品を見ることではなく、作品を観ることを言い、作品をただ単純に見ればいい訳ではない。それでは見たいものだけが見えて、見えないものは見えないままで、見ているのに見えていなかったりする。要するに表層的なものを見ているだけで良しにすれば、創造的なものを気づけなかったり、気づこうとしないことに繋がりやすい。

つまり、観るということとは今の自分にはまだ理解できないものを見つけ出すこと。新しい何かを探し出すために意欲的に見つめていくことを言う。見ているだけということは、あらかじめ知っていることだけを感じてしまう。そうではなくて、これまで異なる視点から着手してみる。その際に五感使って情報収集することで、感覚的で言葉にならないものを、自分なりのイメージでとらえることができるのだ。

ちなみに宮本武蔵の言葉に「目のつけやうは、大きに広く付くる目也。観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり」がある。その意味は、戦う時の目の配り方は見るでは、表面上しか見えないので弱い。相手の心の動きなどを見るのではない。感じ取って推し量っていくこと。目の前の現象のみを見ようとしないで、見えないものまで観ようすることが大切なのだ。やはり、人は観察していくことで、豊かさが養われてくる。自分自身の感性をよりよく知るために必要なことが書かれている。