談義

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂」とは、松陰先生の辞世の句で、この身はたとえ武蔵野地に朽ち果てようとも、日本のことを思う魂だけでも、この世にとどめて置きたいという意味である。

そう言えば、子供の頃に「長州人が3人集まれば政治の話しをする」という都市伝説が生まれるくらい、あちらこちらで大人の人はよく話し合っていた。いわゆる話題の中心は天下国家のことばかり。非核三原則の提唱を理由として、地元選出の佐藤栄作元首相がノーベル平和賞を受賞したことなどもあって、我こそはその一番のシンパで国をけん引するひとりだとプライドを持っていた。そんな環境に育ったせいか、私も政治の動向にはいつも注視をしている。さまざまなマスメディアから情報を得てはいろんなことを考えている。

しかし、今は残念ながらディープに政治談議ができる大人と出会うことはほとんどない。昔から馴染みの友人を除けば、思いっきり語ることができなくなった。その理由は政治への関心が低くなり、国の一員である意識が薄れている。便利で快適で整備された環境で生活をしているため、身を守るために何かをする意識が薄れて、そのうちになんとかなるさ根性が蔓延している。難しい問題はいずれ誰かが解決してくれるはずという無責任な楽観論を信じているのだろう。だからこそ、小さなことでいいから自分の頭で考えていこう。自分らしい言語にこだわり、個性的に話せるようになろう。大事なのは言葉による自己表現。思ったことを自由に語れる能力を養おう。