青春時代

1976年、私が小学6年生だった頃のテレビの歌番組で、森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌謡曲が耳に残った。その理由はとても単純。歌いだしの「卒業までの半年で答えを出すというけれど・・・」という歌詞と同じように、偶然半年後に小学校を卒業するタイミングが重なったからだ。おかげで「何かの答えを出さなきゃならない」と、勝手に思い込んだことがある。これをよく言えば哲学的で、実態は大人の世界にかぶれて、ほんの少しませたのだ。

数年前、この青春時代を作詞した阿久悠氏の著書に「青春という時代は不確実で不透明で、実に理不尽なものである。この理不尽さは高校野球と共通している。だが、それも誰にも与えられた有限の試練だと思えるから耐えられ、あとになって、ほのぼのさに変わったりできたのである。青春は素晴らしい。だからといって、あの時代をもう一度やろうとは思わない。それほど辛いからである」という一説を発見した。

なるほど、そういう意味が込められていたのか。いわゆる若者は心技体がバラバラに成長していく。知識も経験も不足してバランスが悪く、不安定な行動になりやすい。だからこそ、春時代の真ん中は道に迷っているばかり。青春時代はこれでいいのかなって手探りで、あちこちに頭をぶつけながら己を知る。力任せに体当たりしながら進んで確かめるしかない。ちなみに今も私はそんな感じだから、もしかしたら今も青春時代なのかな?