田舎の学問

ことわざの「田舎の学問より京の昼寝」とは、こつこつと田舎一人で学習しても、書物を暗記して覚えるだけであるが、都にはいろんなものがあるため、いつも何かと交わって見聞が開けてくる。だから、都会の人は街をただぶらぶらしていても、地方の人に比べて知識が増えるチャンスが多いというたとえで使われている。
しかし、今の時代はそこまでの大きな差はないと思う。なぜかと言うと都会には情報量が多過ぎて、それらすべてを活用することは不可能だ。情報処理能力には限界がある。また、特に努力しなくても何かの話題に触れていけるので、次々入ってくる情報を、次々に出さないとパンクするから、知ったつもりのレベルで終わるだろう。
いわゆる余計なことは知らぬが仏。どうでもいいことに首を突っ込むと、だんだんムキになってしまい、正常な感覚を持つことができなくなる。知っていることを武器にして、意見の違う人に攻撃的な態度を取ったりする。つまり、刺激の多い都会にいるより田舎の方が自分のやるべきことに向き合いやすい。「歩歩是道場」の精神で、すべての場所が学びになるから、ただひたすらそこで努力することが大切だ。