人たちをあたたかくおもてなす

その人は一番肝心なことに早くから気付いていた。写真家になるために必要なことを問い続ける。創作する者の入り口にあること重要なことにこだわっていく。自分が進むべき道を明るく照らすレジェンドを尊敬して、その瞬間に感じたものをそのまま表現しようと、試行錯誤と創意工夫を繰り返しながら、自分にしかない世界観を求めていく。

それは思春期の頃、偶然に知った周防大島生まれの民族学宮本常一の父から教え10ヵ条を読んで感動したことに始まる。特に「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ」に刺激されて、自分でしか発見できない世界へ果敢に取り組む。

写真学校時代、それまでの写真家の活動をとことん調べ上げる。自分自身の立ち位置を創るために、前人未到の世界観を探していった。だから、写真家と呼ばれることのハードルは高い。自身の作品を正しく語れなければ失格と厳し過ぎる指針がある。こんな素晴らしいご縁が繋がったのは友人のおかげ。彼が山口県との縁を深めてくれたからだ。縁の下の力持ちに感謝する。たくさんの学びに興奮する一夜になった。