プラスの副産物

私は学校に通って集団で学ぶことはとても苦手だった。そこには勉強ができなかったこともあるけど、それより自分の居場所だと言えるものがなかったから。かと言って居場所なんかは簡単に創れないし、すべてが上手くいく学校生活なんてものもない。後日こういうことを悟ってからは肯定的に見られるようになった。

また、思いがけないプラスの副産物に気づいて意義を見い出す。それは自分が思うようにならないこと、嫌だと感じる現実に直面すること、人間関係がしっくりとしないことなど、これら一切は社会へ出てから生きていくための訓練だったと考えれば、おかげさまでこうして生きているから、必要なことばかりと感謝するしかない。

ちなみに高校時代はヤンチャな人たちに囲まれて大変だった黒歴史。しかし、卒業後もサッカー部を応援し続けているうちに、どんどん繋がりが深まって公認サポーターにしてもらい、暗かった思い出に光りが入って明るくなっていった。だから、学校とは大切なものと巡り会い、伸ばしていくための修行の場だ。面白いや楽しいだけではなく、苦いも酸っぱいも知って、豊かさを育んでくれるのだろう。