噓も方便

ことわざにある「嘘も方便」とは、仏が現世で苦しみ悩んでいる人たちを救済し、悟りへと導くための便宜上の手段として嘘をつくこともある。そのことを踏まえて、教えを乞う人をより高い境地に導くための嘘なら許容範囲。いわゆる大きな善行の前では、ある程度の嘘も認められるという意味を指す。

ちなみに私のモットーは美術家を目指す人と対話する時に嘘をつかないこと。言い換えれば、自分がその時に感じていることを正直に話して、その反応によって付き合えるどうかの判断していく。気を遣って甘いことを言ったり、その場しのぎで調子良いことを言っても、本気で付き合える関係は築けないから、あえて本音で語り合うようにする。

そして、親しい関係になることができれば、時には「 嘘も方便」で励ますこともある。もちろん、あなたには才能があるから大丈夫なんてことは言わない。なぜなら、みんなその人にしかない才能がある。それゆえ「もう少し頑張ったら大丈夫!」と言うだけ。もっともっと努力すれば、誰でも個性を活かせる世界。つまり、嘘かどうかはその人次第。正直に生きれば、なんとかなるはずだ。