倫理

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「人は他人の著作の意味を自分の先入観に都合のよいように曲げたがる。そこで無神論者は、あらゆる著者を無神論に引き戻して得意になる。自分のもっている毒で、汚れのない材料を毒するのだ」という名言がある。

先週、期待の若者がTwitterでフォロー中のイラストレーターが炎上していることについて嘆いていた。作品制作の過程でネット上の他人の画像を無断使用したマナー違反は言語道断である。しかし、その作品がトレス(画像などの資料をなぞって写し取ること)なのか、模写(画像などの資料を横に並べて見ながら忠実に描き起こすこと)なのかの判断つきづらいものに、一方的にトレパク(トレスでパクっている)のレッテル貼って、およそ日頃は美術に関心ない人まで攻撃するのは由々しきこと。誰でも簡単に発言できるネット社会の怖さをまざまざと見せつけられたと語ってくれた。

本来、インターネットは人と人とが繋がるためにあったはずなのに、いつの間にか世論を二極化して社会の分断を招いている。これは、SNSで自分と同じ意見のメンバーばかりをフォローすると、相反する意見は切り捨てて、互いに単調な声だけが反響し合い、自分たちの意見が正しいという錯覚が生じてくる。つまり、趣味嗜好が好き好きなモードになると、少しでも嫌なことがあれば大きなストレスが発生し、そのため疫病神を退治するように攻撃して、自分たちの都合の良い社会にしようとするからだ。それでは多様性が欠けてしまい、どんどん自己中の人間になっていく。この炎上はそのひとつの表れなのだろう。便利なものには罠が多く潜んでいる。自分自身も気を付けるべきだと戒めた。