主観的輪郭

「主観的輪郭」という言葉がある。これは輪郭線に沿った光源の輝き具合いや色の変化が実際にはないにもかかわらず、それが存在しているという感覚を自覚してしまい、そのため輪郭線の存在があるような錯視に陥ることを言う。私たちのいつも無意識のうちに良い形を求めている。それは与えられたものごとの状態において、できるだけ規則的なもので、秩序を守ろうとしたものである。または、安定したものを感じさせるバランスの取れた形を感じようとするからだ。

私たちは自分の目で見たものをそのまま認識していると思いがちになりやすい。しかし、実際はそのまま認識している訳ではなく、多少変換された上でものを認識しようとしている。人は過去に学習したり体験した情報から、最適だと思われる結果を見たものに当てはめて考えようとする。人は欠けた情報を頭の中でイメージして、補完した上でものごとを見ようとしていく。つまり、そこのあるものを本当に見ているのは、目でなく脳が反応して目で見たような錯覚が起きてしまうのだ。
以前、テレビで「主観的輪郭」を知る。そんなに詳しくはなかったけど、光の陰影を使って描いた絵画と似ているように感じた。もし、光源が複雑に重なる場所を写真で写して表現すれば、そこにはどうしても光の強弱があるため、写真全体がまだらなのような画面になって、シャープさに欠けた画面に仕上がっていく。だけど、同じ場所を絵で描いて表現すれば、光の存在が馴染みあるものにできるため、現実と変わらないものを感じさせられるだろう。このたびのコサカダイキ君の個展で出展した作品に写真で表現しづらいものが絵で描けれている。それは平凡な風景だけに良さがわかりにくいが、よくよく観れば、よく描かれていることがわかってくる。